「時間」は進む、「時代」は止まる
何のこと???
高校時代の仲間と飲んでいるときの状態です。
高校時代、とある運動部に在籍しておりました。
今考えれば非科学的な練習をし(水を飲むな!はその最たる例)、「パワハラ」として訴えられてもおかしくない指導がまかり通っていました。
まあ、四半世紀前の話なんで「パワハラ」なんて言葉は当然なく、1つ年次が違えば奴隷扱い当たり前!ですからね。
さて、本題。
高校を卒業してだいぶ経ちますが、どういう訳か色々なことを覚えています。
そのほとんどは、日常の他愛もないこと。
ほんとにどうでもいいような日常の一コマ、一ページ。
大切であったであろうイベントのことは、実はあまり覚えていない。
学園祭とか修学旅行とか。
で、久しぶりに仲間と集まると、それまで頭の引き出しの奥にしまい込んでいた「記憶」が、ブワーっと噴き出してくる。次から次へと我先にと。
そんなこと、皆さんにもないですか?
そして飲み会(飲み会じゃなくても)では、同じ話、同じエピソードが繰り返し語られる。飽きることなく何度も何度も。
一つの話をきっかけに次から次へと、まるで大木が枝葉を広げるかのように。
次への話、またその次への話と、どんどん展開していく。
思いもよらないような話へ展開していく。
当時は部活がどんなに辛く大変だったのか。
そんなことを置き去りにして、苦労した話、辛かった話が笑い話に転化していく。
今回の飲み会は自分たちの一つ上の先輩、一つ下の後輩も参加してくれました。
ありがとうございます!
そうすると、同期だけの飲み会よりもさらに広がりを見せて、面白さに拍車がかかる。
話題には事欠かない。一つのエピソードも見る立場によって全然違うものに見えてくる。
「そうだったのか!先輩はそう感じていたのか!」
「そっか、後輩はそういう風に受け止めていたんだね!」
そんなことに気づかされる。本当に他愛もないエピソードなのに。
面白いですよね?楽しいですよね?
時間は確実に進み、生きていれば同じだけ年を重ねていく。
年齢的に当時の先輩が後輩になる訳はなく、後輩が先輩になる訳もない。
それは出会う前から決まっていた先輩と後輩の関係。
たまたま同じ学校に進学し、同じ部活に入部したからこそ出来上がった関係。
結ばれた「絆」だと思うんです。
年に1~2度はこういった集まりをしたいなとつくづく思いました。
飲み会という場で、ずーっと昔に結ばれた「絆」を確かめ、
集まるたびにほんの少しでもいいからその「絆」を強くしたい。
それぞれが大人になり、親になり、責任のある立場になる。
そういった日常からほんの少しだけ逃避して、昔の自分に戻れる。
そんな気楽さ気安さが高校時代の仲間との飲み会にはあるんだと思います。
当時怖くて話せなかった先輩。
どんなことを考えていたのか、どんな思いでいたのか、そういったことをエピソードとともに語れるのもこの飲み会のいいところですね。
「時間」は進む、「時代」は止まる
そんな経験が糧になる。そう思える今日この頃。
歳を重ねるのも悪くない。
おしまい。